公害の歴史、まさかの責任を感じてない…??? 2024年12月議会 日本共産党 代表質問③
*編集記録(2024年12月20日)最初の段落、裁判について少し加筆しました。
これはとっっってもショックでした。以前もブログで書きましたが、川崎・横浜公害保健センターの廃止が発表されました。今回、代表質問ではかなりストレートに聞きました。そもそも1998年の川崎公害裁判の地裁判決で、川崎市は道路を管理しているものとして責任があるとされた(川崎市は被告ではないですが、判決では言及されました)。そして加害企業が出したお金で、川崎市も一緒になって公害の被害者救済などのために建てられたのがこの公害保健センターなのです。この設立の意義と、公害裁判の判決を受けた川崎市の責任について、市長はどうとらえているのか聞きました。
そしたら!!!
裁判にはひと言も触れない答弁でした。
これは本当にびっくりした。でも、なんとなく腑に落ちました。ぜんそく患者の医療費助成をなくすときも、今回この公害保健センターの廃止が報告されたときも、議論がかみ合わなかったんです。わたしはこの裁判判決を川崎市も受け入れているという前提だったのですが、そこがそもそも共通認識になってなかったんです。前提が崩れたというか、そこからすでにずれていたのかと。そりゃ話もかみ合わないよね、と変に納得してしまいました。
中には「公害はもう終わった」という意見もあって、触れてはいけない黒歴史みたいに扱われることもあります。でも、ぜん息患者は増加し続けていること、多摩区の子どもだけぜん息の有病率がほかの区の倍あるということなど、大気汚染の健康被害はまだまだあるのではという疑いも濃厚です。そして仮に公害患者もいなくなり、大気汚染も絶対ないという時代になったとしても、過去の教訓は常にもっていなければいけないと思います。恥じることではないし、むしろ「黒歴史」といって逃げようとする姿こそ恥ずかしいとわたしは思います。