斉藤のどか
斉藤のどか斉藤のどか

プロフィール

1990年生まれ。4歳から8歳までアメリカで過ごし、帰国してから麻生区で育つ。真福寺小学校、白山中学校(現:王禅寺中央中学校)、県立横浜国際高等学校、早稲田大学国際教養学部を卒業。パートナー、子ども、犬と一緒に麻生区細山に住む。趣味は旅行。

斉藤のどかの生い立ち

育児、新型コロナ、介護、老後の生活。川崎ではあらゆる世代の人が不安を抱えながら生きています。こうした不安を取り除き、市民の暮らしを守る川崎をつくるため力を尽くしたいと思い、立候補を決意しました。

帰国したら日本語がわからず…

1990年、東京都で生まれました。4歳の時、父の転勤に伴い一家で渡米。アメリカのサウスカロライナ州で暮らしました。帰国したのは小学校3年生のとき。その頃には日本語を忘れかけていて、先生やクラスメイトが何を言っているのかよくわかりませんでした。日本にうまく馴染めない悩みを抱えながらも、中学校では吹奏楽部でパーカッションを担当。高校ではラクロスに熱中しました。

楽しかったオランダ留学の寮生活

同じ寮だった友達と。10年経った今でも仲良しです。(一番右)

英語で学べ、さまざまな分野で幅広く学べることに魅力を感じ、早稲田大学国際教養学部に入学。1年間オランダに留学しました。学生のレベルの高さに圧倒されながらも、さまざまな国から来た留学生と一緒に暮らす寮生活を楽しみました。個性がそのまま受け入れられる環境が新鮮で、自分らしさに自信をもてるようになりました。

シンガポールと日本共産党

大学卒業後は海外で暮らしたくて、日本語教師の資格をとりシンガポールに引っ越しました。そこで目の当たりにしたのは、格差と貧困。一部の人が利益を得るために、多くの人が搾取され踏み台にされている現実に疑問を感じ、社会の仕組みを変えたいと思うようになりました。たどり着いたのが日本共産党でした。2017年、入党してから2年あまりで国政に挑戦することに。2021年の衆院選では生後9ヶ月の娘を抱えて立候補し、市民と野党の共同候補としてたくさんの方に応援していただきました。

2017年、初めて挑戦した衆議院選挙。当時26歳でした

家族のささえがあるから

長女のお宮参りで。

パートナーや2021年に生まれた長女、両親や姉妹など、家族は私にとってかけがえのない存在です。どんなときでも家族が応援してくれるからこそ、今の私がいると思います。同時に、家族や周りの環境に恵まれているかどうかですべてが左右される社会に大きな疑問を感じています。どんな人であっても、健康で文化的な最低限度の生活をする権利がある-憲法25条に明記されたことをしっかり実施する川崎市を実現したいです。

家族からのメッセージ

のどかとの思い出エピソード

小学生の頃、鉄棒にぶら下がっているのどかにちょっかいを出し、頭から落ちて大泣きさせました。心配する母にのどかは「大丈夫だよ。のんが勝手に落ちただけ!」と。次女(姉)

好奇心旺盛で、いろんなことに挑戦できる自慢の妹です。長女(姉)

のどかは、幼児の頃から少しくらい頭をぶつけても全然泣きませんでした。高校のラクロス部でゴールキーパーをできていたのも納得です。

小さな頃は姉たちを追いかけて自転車で土手を駆け降りるなど、ちょっと無鉄砲なところがありました。今では、勇気や決断力に繋がっていると感じます。

私がのどかと同じ高校に入学したとき、のどかは自分の友達を連れてわざわざ私のクラスまで来て、「うちの妹ーー!!」と誇らしげに紹介してくれました。四女(妹)

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